2023.06.30
とうとう働くところがなくなってしまったので、出版社を始めることにした。
初めて会社で働いたのは20年前、27歳のときだ。それまでは音楽で身を立てようとしていたのだ。だけど少しずつ、心と身体が動かなくなっていった(兆候はあった)。ギターに触れるどころか、音楽を聴くことすらできない。病院(精神科)へ行ってみる。「眠れない」と言うと抗うつ薬を処方された(当時はいくらでもクスリをくれた)。すぐに昼夜は逆転した。起きてるんだか、寝てるんだかわからない毎日。意識は混濁していく。すぐそばに「あちら側」がいるようだ。こっちへ来いと呼んでいる。そんなときでも本は読めた。いつ開いたっていいし、いつ閉じたっていい。それが優しかった。
われわれはそもそも、生まれたいからこの世に出て来たわけではないけれど、オギャーと母の胎内からとび出したその時から、思っても見なかった外界にさらされる。
まったく無防備な生命。しかし力強く、ありったけの力をこめてオギャー、オギャーと泣く。悲しいからではない。嬉しいからでもない。生命が無条件に外に向かってふき出しているのだ。『自分の中に毒を持て』岡本太郎/青春文庫/P37-P38
「生命が無条件に外に向かってふき出している」か……。意味なんてない。生まれてきたことに、意味なんてないのだ。
半年間のリハビリ(生きる練習)を経て、「こちら側」に踏みとどまる。社会に出るのだ。何日もかけて履歴書を書く。書ける内容などないけど、万年筆で懸命に書く。本に関わりたい。アルバイトでひっかかった出版社に入る。そこから編集の真似事を20年だ。
しかし、会社員生活は散々であった。
いくつもの会社に応募し、いくつもの会社で働いた。そこでわかったこと。それはこの先、わたしは組織(会社)を、決して理解しないだろうというある種の絶望だ。そもそも「働くこと」自体に、自分と組織とでは乖離があった。そのおかげか、応募先ではことごとく不採用に(今後のご活躍をお祈り申し上げます)、働いた会社ではことごとく嫌われて(いつの間にか居場所がない)、立ちゆかなくなっていった。当然だ。わたしにとって「働くこと」とは、どうしようもなく「自分のこと」であり、「おもしろいか/おもしろくないか」であり、「やりたいか/やりたくないか」であった。
けれど正直なところ、人の数だけ「むすうの/それぞれの人生」があるはずで、誰一人として同じ人はいないわけで、そんな人たちが一カ所に集まって──価値観を共有して?──「働くこと」の違和感が常にあった。どこまでいっても自分に引きつけてしまう。自分と組織との──そんなものがあるのか極めて疑わしい──「適切な距離」がわからないし、つかめない。でも、こうも思う。人の数だけ「むすうの/それぞれの働き方」だってあるはずで、その人だけのための会社(働く場所/居場所)があってもいいのではないか。
そんなわけで、出版社を始めることになってしまった。
***
以下(全7回)は、屋号が「人々舎」に決まった「さまよい」の果てだ(実は一度決めて変更した)。
「書くこと」はおそろしい。無自覚に誰かの言葉を使う。わかっていないことを、わかっているかのように書く。つまりそれは、無知/無学/無教養を面前にさらすことでもあり、出版社としてはこの上なく危うい。それでも、書くよりしかたがなかった(とめどもない駄文につき、先に謝っておく)。
屋号を「さまよった」のは、2020年の秋から冬にかけて──出版社を立ち上げようと/立ち上げざるを得ないと思ったのが初頭なので、約1年後──のことだ。出版社の屋号は本でいうと「タイトル」にあたる(と思う)。とても重要だ。では、いつタイトルが決まるのかというと、すでに決まっている場合と、のちに決まる場合とがある。わたしの場合は後者が多い。タイトル──言葉と言ってもいい──とは「出会い」、それから「立ち上がる」ものだと思うから。何度も何度も原稿を読んで、貫く言葉を探す。すでに書かれている言葉や、まだ言葉になっていない言葉(非言語の言葉)をすくい上げる。そこまでしてようやく、タイトルは「立ち上がる」(立ち上がらない場合もある。読むしかない)。そんなことをしていると、なかなか決まらない。とんでもなく時間がかかるから。それでもやらざるを得ない。それが書き手への、読み手への、せめてもの敬意だと思うから。もちろん組織の中では機能しない。
屋号はいつまでも決められず、どんどんあとにまわした。
ただ、「決めること(名前をつけること)」に暴力的な何かを感じて尻込みしていたところもある。子どもが生まれたときにも思ったことだ(9年前)。「名前」をつける……か……と。まわりを見渡してみると、名前がないものなんてないのだ(ある?)。必ず何かしらの名称/呼称がある。意味があるもの、意味がありそうでないもの、どちらでもないもの。どこかの誰かが、その「もの」「こと」に名前を与えたのだ。光あれ!(結局、子どもの名前は父が聖書からつけた。わたしの名前も聖書から。父の名も。祖父が敬虔なクリスチャンであった)。とはいえ「決めること」を意図的にあとまわしにしていた、とも言える。あらゆる要素を決定しないで同時並行に進めていき、もうこれでしかない、こうするしかない、こうしますかー、と自然発生的な流れにゆだねたい、という気持ちがある(ろくでもない)。
「ぼんやり」と決めていたことが3つあった。1つめは「舎」を入れること。「社」ではなく「舎」。初めて働き、倒産した会社からとった。2つめは手触りがあり、自分と遠く離れていないこと。つまり、大事にしていることが何なのか、屋号からわかること。3つめは、あいまいな間(あわい)を、境界を表現したいということ(「ぼんやり」を象徴する思考)。モノゴトは白黒と簡単に割り切れるものではないし、本もそうであるべきだと思うから。ただこれらは(とくに3)、自分の中からではなく、外から借りてきた絵空事だとわかる(そんなこともわからなかった)。
考えるにあたり、可能性があると思う手あたりしだいの、安直(!)なことをやった。自分にまつわる字を入れようとか、好きな本や音楽から引用しようとか。
図書館で参考になりそうな本や辞書で調べてみる。散歩しながら考えてみる。まあ、決まらない。辞書なんて、こんなの関係あるのか、というものまで読んだ(流し見た)。どんな辞書にあたったのかを調べたら笑えたので列挙する。サブタイトル、著者、発行元を割愛。長いので。
当て字の辞典/「言いたいこと」から引ける慣用句・ことわざ・四字熟語辞典/「言いたいこと」から引ける大和ことば辞典/隠語辞典/音の表現辞典/架空人名辞典/数の漢字の起源辞典/角川類語新辞典/感覚表現辞典/感情表現辞典/関西弁辞典/感情類語辞典/擬音語擬態語辞典/擬音語・擬態語使い方辞典/逆引き季語辞典/逆引き広辞苑/逆引き熟語林/逆引き同類語辞典/現代漢語例解辞典/好色艶語辞典/講談社類語辞典/国語表現辞典/ことば遊び辞典/「死」にまつわる日本語辞典/集団語辞典/女性語辞典/新明解類語辞典/大辞泉/たとえことば辞典/たとえことば表現辞典/使い方の分かる類語例解辞典/てにをは連想語辞典/東京弁辞典/トラウマ類語辞典/難読語辞典/日本語オノマトペ辞典/日本語シソーラス/日本語になった外国語辞典/日本語表現大辞典/日本語 描写の辞典/日本名言辞典/罵詈雑言辞典/反対語辞典/反対語対照語辞典/表現類語辞典/枕詞辞典/見やすい カタカナ新語辞典昔の表現辞典/明治大正新語俗語辞典/明治のことば辞典/大和ことば辞典/類語活用辞典/類語大辞典/類語表現活用辞典/類語分類 感覚表現辞典/例解慣用句辞典
(隠語辞典……好色艶語辞典……罵詈雑言辞典……)
こんな調子で、毎朝、杉並中央図書館まで自転車で通い、そして夕方まで、ああでもない、こうでもないとやっているうちに、考えた屋号は200を超えた。当初のハート・ウォーミングな軽やかさはどこへやら、ハード・デイズ、つまり苦行へと化していく。ちなみに主なボツ屋号はこんな感じ。
彼方此方舎(あちこちしゃ)/間舎(あわいしゃ)/今今舎(いまいましゃ)/光景舎(こうけいしゃ)/煌々舎(こうこうしゃ)/五感舎(ごかんしゃ)/此処舎(ここしゃ)/木漏日舎(こもれびしゃ)/残光舎(ざんこうしゃ)/循環舎(じゅんかんしゃ)/水弦舎(すいげんしゃ)/墨色舎(すみいろしゃ)/聡慧舎(そうけいしゃ)/奏水舎(そうすいしゃ)/体温舎(たいおんしゃ)/二極舎(にきょくしゃ)/彼我舎(ひがしゃ)/彼岸舎(ひがんしゃ)/表象舎(ひょうしょうしゃ)/ふりこ舎(ふりこしゃ)/無縁舎(むえんしゃ)/幽玄舎(ゆうげんしゃ)/予感舎(よかんしゃ)/流転舎(るてんしゃ)
(彼方此方舎……二極舎……彼我舎……)
けれども、プリントアウトをして部屋の壁に貼って眺めるが、どれひとつとして、しっくりこないのだった。あたりまえだ。自分の深いところから取り出していないから。自分との対話を避けてきたから。ここまできて初めて、いかに「ぼんやり」していたかを知る。なぜ出版社をやりたいのか。動機は何か。出版社は自分にとって何なのか。やっと自分に向き合うことになる。なぜ金を借りてまでやるのだ。家庭があり、40歳過ぎて、子どもまでいるのに。借金までして、ハタから見れば完全にイカれている(家族は大反対。今も)。だいたい、屋号も決めずイメージもせず出版社をやろうとしていたのか? すでに金は借りてしまっている。刊行予定の著者にも話済みだ。もうあとには戻れない。
そんな自問自答が続いたある夜、夢を見た。
「屋号をさまよう ❷ 言葉と出会う」へ続く