日々と。は、人々舎が運営するWebのよみものです。
もともと人々舎は、行き(生き/息)場をなくしたわたし(代表・樋口)がなし崩し的に始めたひとり出版社で——これ以外の選択肢がみつからなかった——本を通して、わたしやあなたの何らかの「場」として存在できたなら、こんなにうれしいことはありません。
同じようにWebでも「場」をつくろうと既存のプラットフォームを検討したのですが、結局のところ自前で持つことにしました。何事にも加担せず、何者からも干渉されず、自由に書いて表現できる「場」にしたかったからです。
ただ、「場」をつくると決めたものの、肝心な名前がなかなか決められません(名前はいつも決められない)。
そこで、何の気なしに「人々舎」を「hitobitosha」とローマ字にしてアナグラムのように入れ替えてみました。すると「hibito(日々と)」だけが浮いて見えたような気がしたのです。
日々と。(句点を入れてみました)
ひ・び【日日】
毎日。一日一日。日ごと。
大辞泉【第二版】より
試しに意味を上下左右に転がして、わたしなりに拡大解釈してみます。
日常。生活。日を重ねる。繰り返す。いつも。とめどなく。あたりまえのように過ぎていく。目の前のつづき。日々のない人はいない。そのなかで何を選び、選ばないのか。愛すべきものなのか、絶望そのものなのか。どう生きるのか、あるいはどう生きないのか。わたしたちと地続きである日々。日々を考えること/日々から始めることは、地に足をつけること、自身をみつめること、そして、自分の言葉をみつけて自身と出会うこと——なのではないか。
ここまで考えを進めて、ふと、父の言葉を思い出しました。
「いつなんどきも、現実(今)から始めるんだよ」
(いつ、どんな場所で何の話をしたのか、具体的なエピソードは失念してしまいましたが、父との対話で心に残っている言葉のひとつです)。今、目の前で起きていることよりも、過去に起きたこと、未来に起きるかもしれないことに目を向ける——とくに過去——わたしに、よく言ったものです。この父の言葉には、その時点での自分が何者でどんなことを考えて何を想うのか、こんがらがった頭を整理し、浮き足立った自分と地面とを、つなぎとめる作用があったように思います。
では、あらためて——
日々と。
ふとした言葉遊びから思いついたわりには、なんだかとてもしっくりきました。
というわけで、Webよみもの「日々と。」は、書き手にも読み手にも、自分の言葉をみつけて自身と出会う「場」になれたらいいなと思っています。
人々舎 樋口聡